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高岡銅器とは

悠久の時を超えて今 

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 高岡銅器は、慶長16年(1611)、加賀藩主前田利長公が高岡城の築城に際して、7人の鋳物師に城下町高岡への移住を勧める書簡を出し、それに応じた鋳物師が居を移したことに始まります。翌17年には1人、18年には3人と増え、これら11人が後世繁栄を極める高岡鋳物の開祖となっています。
 当初は、鉄鋳物が中心でしたが、江戸時代中頃から銅鋳物も盛んになり、高岡銅器の発展とともに金屋は拡張していきました。明治期は維新の影響を受けながらも、高岡銅器は順調に発展を遂げ、黄銅や青銅、鉄製品や軽合金であっても、高岡銅器の名のもとに鋳造製品として繁栄していきました。さらに、高岡銅器は、明治6年(1873)のオーストリア・ウィーン万国博覧会から昭和12年(1937)のパリ万国博覧会まで積極的に出品し続け、輸出品としても確固たる地位を築きました。
 高岡銅器の発祥地である金屋町は、長い歴史と伝統を持ち、長く銅器産業の中枢として栄え、昭和50年(1975)には日本初の国の伝統的工芸品産地の指定を受けました。発祥以来390年以上の時を経た現在も、日本唯一の銅鋳物の産地として、クラフトデザインやインダストリアルデザインなど幅広い製品を手がけています。 

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高岡銅器の魅力

 高岡銅器は、日本における銅器の総生産額の約95%を占めています。
 しなやかな鋳肌、味わい深い色合い、精緻な文様と流麗な形、そして躍動感あふれる曲線美が、多くの人々を惹きつけてやみません。
 心や季節の移ろいを大らかに受けとめる器は、銅という金属であることを忘れさせるほど強く美しい生命力に満ちあふれています。
 小さな文具から、香炉や花瓶、茶器、仏具、灯籠、梵鐘、豪壮な大仏まで。
 高岡の手仕事は、銅器という枠を超え、あらゆるものに生命を注ぎ込んでいます。

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